老子の宇宙観

The World of Lao-tzu and Tao

「猛からず」

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●原文 第6章+第55章&第61章 抜粋

谷神不死 是謂玄牝
玄牝之門 是謂天地根
緜緜若存 用之不勤。


物壯則老
謂之不道 不道早已。


大国者下流
天下之交 天下之牝
牝常以静勝牡 以静為下。

●読み下し

谷神は死せず、
是を玄牝(げんぴん)という。
玄牝の門、是を天地根という。
緜緜(めんめん)と存するごとし、
之を用いて、勤(いそ)しまず。

壯(さか)んなる物は、老に則る。
之いわば、道にあらず。
道にあらずば、已(や)むこと早し。
 
大国なる者は、流れの下(もと)なり。
天下の交り、天下の牝なり。
牝(ひん)は常に静を以って牡(ぼ)に勝り、
静を以って下(もと)を為す。

●略意

谷は神妙にして、尽きることがない。
枯れずに生み出す、これを玄牝(げんぴん)という。
玄牝の門は、これを天地生命の根源という。
連綿と続き存在するものである。
聖人たる君子候王は、
これを用いることが重要で、他にあれこれしない。
壮(さか)んなものは、必ず滅びる。
それは牡(オス)にして、君子候王たる立場=道(Tao)ではない。
道(Tao)にそぐわない君子候王は、早々に滅びていく。
大国の立場にある者は、流れの下(もと)である。
世のすべての交りであり、世の根っこたる牝(ひん)である。
牝(ひん)は常に静かであることによって、猛々しい牡(オス)に勝る。
静かであることによって、下(もと)を為す。

●解説文

谷は、ただそこに静かにあるだけで、尽きることなく水を湧き出(いだ)す。
枯れることなく命の水を湧き出させることを、奥深き本当の女性の性稟(せいひん)という。
奥深き真実の女性の性質が出ずる場所は、万物の母なる「有」に似て、すべてを生み出す天地万物の生命の根源である。
その性質によって、次々と尽きることなく命は生み出され、永遠に存続していくのである。
聖人たるべき大国を治める君子候王は、この奥深い真なる女性の性質を用いるべきであり、ほかにあれこれと何事かを勤しんで、作為するべきではない。

粗暴な牡(オス)のように猛々しかったり、壮(さか)んに何事か為さば、盛と衰は同じ状態であるし、壮の次は老と定まっているので衰えざるをえない。
そのように何事かを壮(さか)んに作為することは、君子候王の道(Tao)とすべき道ではない。
道(Tao)にあらざる君子候王は、滅びていくのも早い。

一般庶民はともかく、大国を治める君子候王たるものは、流れを生み出す大元(おおもと)、またすべての流れが集まる最下流に居るべきだ。
この世のすべてを生み出すかのごとき交わりをなし、奥深き真実の女性の性稟(せいひん)のように、生命の根源たる玄牝(げんぴん)をなす。
玄牝(奥深き真実の女性の性質)は、常に神妙にして、無に居り、為す無きを為し、猛々しく壮(さか)んなる牡(オス)に勝っていく。
神妙にして心静かに世の流れの大元(おおもと)を為す。

One-Point ◆ ここでも、これまでの読み下しとは異なる箇所があります。老子は自ら「多言は窮す」と述べているように言葉を省略したり、どちらに取られてもいいようにダブルミーニングや掛け言葉を多く用いています。いずれにも偏らず、両方の意を汲み取ることが必要です。それが「美と醜」「善と不善」は同じだとする老子の思想です。




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