道沖而用之或不盈
淵兮似万物之宗
湛兮似或存。
天地之間 其猶籥乎
虚而不屈 動而愈出。
三十輻共一轂
当其無 有車之用
埴以為器
当其無 有器之用
鑿戸以為室
当其無 有室之用
故有之以為利
無之以為用。
道は沖にして、或いは盈(み)たずこれを用いる。
淵に似たり、万物の宗なり。
湛に似たり、或いは存す。
天地の間は、其れ猶(な)お籥(たくやく)か。
虚にして屈せず、動じていよいよ出ず。
三十の輻(や)、一つの轂(こしき)を共にす。
其の無に当たり、車の用有り。
埴(はに)を(こ)ね、以って器と為す。
其の無に当たり、器の用有り。
戸と(まど)を鑿(うが)ち、以って室と為す。
其の無に当たり、室の用有り。
故に、有を以って利と為し、
無を以って用と為す。
道は沖にありて、天地の淵(ふち)に似ている。
万物の根源にして、空(から)のままこれを用いるが、
満々と(水を)たたえているようでもある。
天地の間は、いつも相変わらずフイゴのようである。
空っぽのようだが尽きることがなく、ひとたび動き出せば、ますます生命を生み出す。
車輪の30本のスポークは、中央のハブに集まり、
ハブの真ん中に空いた中空を軸とするゆえ、車として用いることができる。
粘土をこねて、器を作る。
器は中が空っぽゆえに、器として用いることができる。
入口や窓を空けて、家を作る。
中に空間があり、扉や窓が空いているから、部屋として用いることができる。
故に、「有」なる万物をもって利器なるモノを作るが、
そこに「無」なる空(から、あき)の部分があるからこそ、用いることができる。
道(Tao)は、この世のはるか遠くにあって、この世界の淵のようである。
万物の母なる「有」のさらに根源の宗(おおもと)にして、空っぽの器のようであるが、また満々と(水を)たたえたように、すべての天地万物を支配せずにして自然とつかさどる。
天と地の間は、それ、変わることなくいつもフイゴのようである。
フイゴの中は空っぽだが、それゆえにこそ空気を送る用をなすのであって、空っぽだから使えないということはない。
動き出せば、火にいよいよ勢いを与えて、燃え盛らせる。
車輪には(30本の)スポークがあって、中央のハブに連なっているが、ハブやスポークの間に空間があるからこそ、回転でき、車としての用をなす。
粘土(つち)をこねて成形し、器を作る。
器は、中が空洞ゆえに水やモノを入れて器として用いることができる。
木材や石や土を用いて、扉や窓を空け、家を作る。
家は、中に空間があって、入口や窓を空けているからこそ、部屋として使うことができる。
それゆえ、「有」である万物を使って材料や素材とし利器を作るが、「無」である空洞や空間や空いた部分があるからこそ、用をなして役立つのである。
One-Point ◆ 第4章と第5章のうち錯簡(間違って配された)と思われる箇所や、本旨に直接関係のない部分を除外し、第11章の全文を加えて、老子の云わんとする一端をご紹介しました。
ここで述べられていることは、いわれてみれば当たり前ですが、凡人には気づくことができない奥深さがあります。「無」の要素があるからこそ、ものの役に立つことから、老子は作為のない「無」による治世を是としています。
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