宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―

日本を残した真の“英雄”
[古代史解明17:平和と存続]
― 闇に葬られた「史実」 ―

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勝者だけでない自ら身を引いた“救国”の英雄

↑明治期の徳川慶喜。

●第1稿 2024年 7月25日 アップ。


ご意見は多々あると思います。

天下を獲った者だけが英雄ではなく、古代や近代に自らの死を賭して身を引くことで「日本」を残し築かせた“英雄”がいます。

私たちが知っている歴史の多くは“勝者”がつくった歴史ですので、虚虚実実、騙られた部分が必ずあります。

『日本書紀』もその一例です。

古代も近代も歴史に残らない真の“英雄”がいるのですが、教科書やマスコミが社会通念として語ることはありません。


●最初からの独立統一国家「大和」を描いた『日本書紀』は、古代に平和な国づくりをした英雄を記さない。


《 歴史教育はつまらない 》

義務教育で習う「歴史」ほどつまらないものはありません。

理由は次の3点です。

1、年代などの単なる出来事の記憶。

2、階級闘争史観によって、闘いの歴史として解釈されている。

3、勝者によるつくられた歴史が少なからずある。

ただし、テストではそれらを答案用紙に書かないと“正解”にならず、点をもらえません。

そんな歴史が心に響くはずもなく、面白いわけがありません。

One-Point ◆ 大人になって、なぜ太平洋戦争をしたのか、なぜ負けたのか、事実を知りたくなりました。今でこそ語られていますが、GHQの「日本弱体化政策」をはじめ中韓を優遇させなければならない“ウソ”が教えられた戦後社会でした。


《 勝者が決める先達の評価 》

本題です。

勝者や敗者といった双魚宮時代の対立的観点によって描かれた歴史ではなく、宝瓶宮時代の観点からみたらどうなるのでしょうか?

戦国時代の覇者は三英傑「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康」です。

300年近い太平の世を保った江戸時代は、最後の将軍「徳川慶喜」の“大政奉還”の大英断によって幕を閉じました。

関ヶ原の闘い(1600)以来、徳川に恨みを持った薩長をメインとした「明治新政府」が誕生し、“近代勝者”による歴史が幕を開けます。

「海王星」の発見(1846)から、まだ21年しか経っておらず、“まだ見ぬ理想”や“事実誤認”など“欺瞞”に陥りやすい“宇宙波動”バリバリの「幕末」や「明治維新」です。

かなりの“事実誤認”や“勘違い”が残されていますが気づきにくいのです。

その平易な一例が、太平の江戸時代を開いた神君「家康公」の評価で、事実とは真逆に終戦直後まで“タヌキおやじ”などと貶められてきました。

One-Point ◆ 「皇国史観」もその代表例です。「天皇」による日本の“国体”を定着させたのは第40代「天武天皇」で、妃の第41代「持統天皇」が夫/天武の遺志を引き継ぎリリーフで即位されると「万世一系」に全力を傾注し、ついに実現させます。別格の「英雄夫妻」です。



「海王星」と幕末明治維新の欺瞞

●「海王星」発見後の「明治新政府」になって、国家神道のご祭神を誰にするかというとき、決着がつかず明治天皇のご裁可を仰ぎました。

そのとき神話上の“女性神”「天照大御神」が皇祖神と定められます。

厳密には、明治以降「皇国史観」の皇祖神です。

それまでは武家政権だったこともあり、「素戔嗚尊」がもう一方の候補でした。

さらに申し上げますと、『日本書紀』に記されている皇祖は「天照大御神」ではありません。

神代下巻の冒頭に「高皇産霊尊」(たかみ むすびの みこと)が皇祖と記されています。

今日、知られる神話上の女性神「天照大御神」は、古代に実在した男性神「天照大御神」とは異なります。

なので、一部で推測されるように女王「卑弥呼」が、実在の「天照大御神」と同一人物ではありません。


《 天照大御神に並ぶ隠された「大御神」 》

天武天皇が編纂を命じ、皇子の舎人親王(とねり しんのう)が編纂の総裁に就き、天才藤原不比等(ふじわらの ふひと)がカゲで関与し企図した『日本書紀』に記される“女性神”「天照大御神」は、本来の歴史上の史実は“男性神”です。

壬申の乱に勝利した天武天皇の「千年のちまでも二度と皇位争いを起こさない」(平和を維持する)という「吉野の盟約」を受けて、「万世一系」を定着させるために「持統天皇」は命がけで取り組みます。

不比等は、持統天皇になぞらえるために「天照大御神」を“女性神”として『日本書紀』に描き、神話“天孫降臨”を描いて天武と持統の孫「文武天皇」へのご譲位を正統なものとします。

事実上の万世一系を定着させ“天運”をもたらした功労者です。

ゆえ、持統天皇の国風諡号(和風諡号)は、「高天原広野姫天皇」(たかまのはら ひろのひめの すめらみこと)と申し上げます。

古代日本を築いた男性神「天照大御神」もそうですが、もう一人、初代“神武天皇”以前に国づくりを行なった実在の「大御神」がいます。

ご尊名はイメージが異なるので伏せます。

争わずに“国”(土地)を平和裏に明け渡した古代の“英雄”です。

One-Point ◆ 7世紀の勝者によって、「天照大御神」は“女性神”に変えられました。もう一人の「大御神」も勝者にとっては都合が悪いので詳しく記されることはありません。というか、ご自身がオモテに出ることを好まない“神”のようなご人徳をお持ちです。


《 自ら将軍職を降りた慶喜 》

似たような立場を選択した人物が近代にいます。

最後の将軍「徳川慶喜」です。

痩せても枯れても300年近く続いた天下の将軍です。

将軍の地位に固執し“朝敵”になってまで長州と戦えば、最後の勝敗は分かりません。

しかし、彼の不戦の判断は隠され、彼自身も語ることはありませんが、どちらが勝っても日本は疲弊し、イギリスやフランスの植民地にされると分かっていたことから、「大政奉還」を平和裏に成し遂げます。

かつて不思議に思ったのは、恨みに思っていた薩長「明治新政府」が、なぜ慶喜を殺さなかったのかということです。

結局、慶喜は趣味の写真などを撮りながら“悠々自適”、華族として貴族院公爵議員に列しつつ、明治天皇が崩御された翌大正2年まで生きています。

One-Point ◆ 将軍職を降りるのは殺されることを覚悟しなければできません。それでも彼は江戸や日本国民が戦火に晒され、欧米の植民地や奴隷になることを避けるべく、大政奉還を行ないました。自分よりも国民や日本国を優先した真の“英雄”です。


《 おまけのお話 》

明治新政府の主力、薩摩藩や長州藩は「関ヶ原の戦い」で負けた西軍に与していました。

遠方ゆえ取り潰しは免れましたが、減封され東軍の大将だった家康への恨みは幕末まで忘れていませんでした。

明治新政府が神君「家康公」を、太平の世を開いた英雄などと褒め讃えることは決してありません。

家康に復権の兆しが見えたのは、先の敗戦の痛手から立ち直り、高度経済成長期を迎えた戦後、今後いかに平和と繁栄を維持していくかというとき、長期安定政権となった「江戸幕府」の礎を築いた徳川家康が再認識され、評価が高まります。

ちなみに、近代の勝者「明治新政府」によって貶められた家康ですが、同じように必要以上に悪者にされた人物が大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公「明智光秀」です。

One-Point ◆ 戦国時代の下克上は悪ではありません。しかし、秀吉は自分の天下を正当とするために、主君を裏切ったとして光秀を“極悪人”にしました。さらに家康は、天下太平の秩序を定める必要性から、光秀を“謀反人”と儒教的に貶めざるをえない経緯がありました。






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