宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

連載 古代日本の黎明 feat. 占星学
− 古代オリエントの影響 −
序:「明治維新」と星の動き

海王星が「魚宮」をトランシットしている昨今の15年間です。
そのため、日本人の“民族性”が、われ知らずとも“啓蒙”されることもあって
ルーツ探しともいえる「日ユ同祖論」や「シュメール起源説」などが盛んです。
“空想”は必要ですが、古代日本の事実を占星学からお届けする連載をスタートします。

「明治維新」:冥王星らによる“国体”の再出発のディレクション

●第1稿 : 2018年 9月10日アップ


※一部リライトする可能性があります。

日本の“民族性”は「魚宮」です。“国体”は「水瓶宮」です。
そのため、その共鳴星の「海王星」と「天王星」のディレクションを受けやすい国です。
また、“大変革”をもたらす「冥王星」が、これらのディレクションに絡むと日本に大きな“変化”が訪れます。
“民族性”「魚宮」は、“古代海人族”や“日本原住民”にかかわり、「縄文時代」をかたちづくりました。
今回は、その前に星の動きのご参考として、「明治維新」をお届けいたします。

《 “御一新”こと「明治維新」 》

近代日本のスタートとなった「明治維新」は、冥王星と天王星などが「牡牛宮」をトランシットし、海王星が今日のように「魚宮」をトランシットしていくことによってもたらされました。

これらは、日本の“国体”の「再スタート」となるディレクションであり、また日本人の“民族性”の発揚をうながすディレクションです。

結果、日本人のアイデンティティーを“リバイバル”するディレクションともなりました。

そのため、明治は、“武士の魂”(精神)を引き継ぎつつも、豊かで強い国家づくり「富国強兵」をめざしていきます。

ここでは、新連載「古代日本の黎明 feat.占星学 −古代オリエントの影響−」のご参考に、昨今の星の動きに類似する「明治維新」をもたらした星の動き(ディレクション)をお届けいたします。

日本の“国体”が「水瓶宮」だというのは、“君臨すれども統治せず”や“臣民平等”といった“天皇制”にもとづきます。

その「水瓶宮」からみて、下方矩(ロウアー・スクエア=90度)の「牡牛宮」は、重要な「星のディレクション」の位置になります。

その「牡牛宮」に、“大変革”を象わす冥王星を代表とする重要な星たちがトランシット(運行)したのが、“幕末動乱期”と“御一新”こと「明治維新」です。

このディレクションによって、日本の「天皇制」にともなう“国体”が「再スタート」する出来事が起きていきました。

ご存じのように、徳川幕府から天皇へと「大政奉還」が行なわれ、明治新政府による「天皇親政体制」がスタートしていったわけです。

ちなみに、幕末動乱期と同じように、現在も「海王星」が「魚宮」をトランシットしています。
そのため日本国内においては、“民族性”を発揚していくディレクションが働いています。
また、国際的には、日本人の“民族性”が評価され、社会的なプレゼンスが高まっていくディレクションとなって人知れず働いています。

余談ながら、“御一新”は、長州(現山口県の西部)が原動力の一つとなりました。

奇しくも現在、旧長州を地盤とする安倍首相によって、「戦後レジームからの脱却」などをはじめとした「新生日本」への“リバイバル”が起きています。

One-Point ◆ ドラマや小説で知る「明治維新」と「人物」は、当時の星の動きもあって、かなり“イメージ化”されています。明治時代に、維新側の志士たちは“善”、幕府側の人物たちは”悪”とした風潮が今日も残っているためです。一例を挙げますと、松下村塾の「吉田松陰」は、命よりも心(想い)が重要といった精神論者で、今でいう“宗教的(精神的)テロリスト”の側面をもっていました。「諸君、狂いたまえ」という言葉が有名です。また「関ヶ原の戦い」で敗北したことによる怨恨などもあって、長州藩の一部は“過激”で、天皇を利用しようとしたことなどが「長州征伐」につながっていきます。


●日本の“国体”と“民族性”

詳しくは、「宝瓶宮占星学-雑考編」「日本は何座宮?」 をご参照ください。

国家が持つ3つの象意、“民族性”、“国体”、“現体制”については、上のページでご説明しています。
たとえば、西洋占星術でも、個人を占うときに「太陽」「月」「ASC(上昇点)」といった3つサイン(宮)を重要視しますが、国家にも 3つの代表的な基本的な象意があります。
それが、“民族性”と“国体”と“現体制”で、日本の場合、“民族性”は「魚宮」、“国体”は「水瓶宮」、“現体制”は「牡牛宮」になります。

《 “御一新”に至る星の動き 》

ここからは、星の動きを、詳しくご説明いたします。
慣れないと、読みにくいかもしれませんが、その場合はご容赦ください。

幕末動乱期のはじまりは、アメリカのペリー提督の「黒船来航」(1853年)だとされています。

それは星の動きから見ても間違ってはいません。

“大変革”をもたらすトランシットの冥王星が、黒船が来航した「1853年」に正式に「牡牛宮」に入宮しているためです。

ただし、冥王星の影響は、すでに5〜7年ほど前から牡牛宮の「影響圏」をトランシットしはじめていたときからすでに現われはじめていました。

だいたい、1846年前後からですが、この時期に何があったのかと申し上げますと、代表的には次の2点です。

2年前の1844年に、オランダ国王から「開国」を勧告する親書が幕府に届きます。

冥王星が「牡牛宮」の影響圏に入った1846年には、アメリカの東インド艦隊司令官ジェームズ・ビッドルが使節となって、2隻の大型帆船で浦賀に来航し、ペリーに先駆けて「通商」を要求しています。

冥王星は、その後、1851年(5月)と、次に1852年(2月)に、一時的に「牡牛宮」に入宮します。

そして、正式に「牡牛宮」に入宮したのが、「1853年」(2月)です。

まさに、この1853年(嘉永6年)に、アメリカのペリー提督が、蒸気船2隻をふくむ4隻の「黒船」で浦賀に来航し、“幕末動乱期”が幕を本格的に開けていくわけです。

すなわち、“国体”の「再スタート」のディレクションの正式なはじまりです。

One-Point ◆ 「大政奉還」と、一般的に「明治維新」といわれる明治への改元は、冥王星が「牡牛宮」のど真ん中15度を通過した「1867年」と翌「1868年」(明治元年)に起きました。「宝瓶宮時代」の正式なはじまりとなった「宝瓶宮時代のビッグバン」(1989年)も、冥王星が「蠍宮15度」を通過したときに起きています。両位置は、対宮点にあって“主客”(補足)の象意関係ですが、対宮点の「牡牛宮15度」の冥王星の通過は、“国体”「水瓶宮」の日本にとっては、冥王星の発見前とはいえ重要なディレクションの位置です。

《 「明治維新」はいつまで? 》

狭義の意味で「明治維新」といえば、慶応が「明治」と改元され、江戸が「東京」と改められ、天皇が東京にお移りになられた「1868年」です。

これは、一連の“御一新”からみたとき、「明治新政府」のはじまりにすぎません。
このときから、「新生日本」のかたちが模索され、次第に整えられていったのが“御一新”こと「明治維新」です。

なぜなら、狭義の「明治維新」が成ったからといって、日本が一気に近代国家に生まれ変わったわけではありません。

歴史をみても、明治に改元した1868年(明治元年)〜翌1869年(明治2年)の2年間は、幕府残党側との「戊辰戦争」が続いています。
また、今年2018年のNHK大河ドラマの主人公「西郷どん」は、1877年(明治10年)に新政府との間に「西南戦争」を起こしています。

そのため、広義の意味で「明治維新」といえば“明治時代”をさし、明治は1912年(明治45年、大正元年)までをいいます。

では、占星学からみたときに、どのようになるのでしょうか。

冥王星は、「1884年」(明治17年)まで「牡牛宮」をトランシットしています。
すなわち、牡牛宮15度以降の「後半」をトランシットし、次代へむけて“国体の再スタート”の仕上げをうながした期間です。

その代表的な最後の出来事は、1881年(明治14年)に、9年後の1890年を期した「国会開設」の詔が発せられたこと。

そして、冥王星が牡牛宮を抜けた翌1885年(明治18年)に、太政官制が廃止され、「内閣制度」が発足したことです。

今日につうじる「議会制民主主義」の“礎”が築かれたのがこのときで、宝瓶宮占星学の「星のディレクション」からみた“御一新”こと「明治維新」の“幕引き”です。

One-Point ◆ この1885年(明治18年)の「内閣制度」の発足にともない、長州の貧農の出身で、松下村塾の塾生だった伊藤博文(当時伯爵)が、「太政大臣」の公爵三条実美に代わって、「初代 内閣総理大臣」に就任します。


●「宝瓶宮時代のビッグバン」

宇宙的周期(25,920年)の「プラトン年」にもとづいて、「宝瓶宮時代」が正式にはじまったときを、「宝瓶宮時代のビッグバン」と呼んでいます。
2,160年続いた双魚宮時代が終わり、新しい「宝瓶宮時代」へと“歴史のパラダイム”が変わりました。
このとき“大変革”を象わす冥王星は、1930年の発見後、初めて自らの共鳴サイン(宮)の「蠍宮」を通過中で、そのど真ん中「15度」にありました。
これによって、“ビッグバン”をもたらす「歴史的なディレクション」となったわけです。
さらに冥王星は、このとき、海王星の軌道の内側をとおっており、最も太陽(地球)に近い「近日点」を通過していました。
この「蠍宮15度」の対宮点が「牡牛宮15度」で、日本においては“国体”を象わす「水瓶宮」の下方矩(90度)となるために、相応に重要なディレクションの位置となっています。

《 海王星の「魚宮」入宮 》

では、冥王星が「牡牛宮」をトランシットしただけで、“御一新”こと「明治維新」をうながす「星のディレクション」となるのでしょうか。

ことは、そう簡単ではありません。

一つの「星のディレクション」だけで、大きな変革を起こすのは、相応の限度があります。

日本の場合、やはり“民族性”を象わす「魚宮」と共鳴星「海王星」の動きも欠かせません。

「海王星」は、冥王星が牡牛宮の影響圏に入った上述の「1846年」に発見されました。

このとき海王星は、「魚宮」に入宮する直前を逆行中で、すでに魚宮の「影響圏」にありました。

当然、「魚宮」に“民族性”をもつ日本人は、この影響を受けることになります。
端的にいえば、日本人の“民族意識”が発揚されるディレクションとなるわけです。

さらに、ほかの星もかかわっています。

冥王星が牡牛宮の「影響圏」に入り、“幕末”への影響をうながした1946年5月、同月、トランシットの「土星」が海王星と合(コンジャンクション=0度)をとりつつ、先駆けて「魚宮」に入宮しました。

土星は、“誤魔化すことのできない現実”を象わします。
これは、「魚宮」の影響圏にある海王星のディレクションを単なる“夢”や“空想”に終わらせず、“幕末”を“現実化”していくディレクションとなることを意味します。

そして、翌「1847年」に、ついに海王星も「魚宮」に正式に入宮します。

正反対の象意を持つ「土星」と「海王星」が、同時に「魚宮」をトランシットしていくことによって、幕末の“混乱”がもたらされます。

One-Point ◆ 幕末には、さまざまな思想が渦巻きました。有名なのは「尊皇攘夷」(そんのうじょうい)思想ですが、これは天皇を敬い、西洋に敵対するといった意味です。ほかにも、「倒幕派」(幕府に敵対する側)と「佐幕派」(幕府をたすける側)といった正反対の考えが起き、さらには攘夷とは反対に「開国派」もあって、いずれにも幕末日本人の“民族性”を発揚し、「憂国」の志を生じさせていきました。


●下方矩(90度)のディレクション

下方矩(90度)のディレクションは、星によって異なりますが、“新たなスタート”や“再出発”また良し悪しはともかく、何らかの“出直し”が必要となる出来事をもたらします。
「深層の精神意識」にかかわることもあって、気づきにくく、解釈の深さを持ったディレクションの一つです。
もっとも、『入門講座』や「レクチャールーム」、また、「伝授講座」(数理法則とクオリアル・ワールド)をご存じであれば、「本意」(本性の象意)を相応にご理解できることになります。

《 天王星が「牡牛宮」に入宮 》

土星は、その後、1849年から「牡羊宮」に移ります。

翌1850年には、今度はトランシットの「天王星」が、牡牛宮の影響圏をトランシット中の冥王星と合(0度)をとりつつ、一時的ながら「牡牛宮」に入宮します。

“国体”「水瓶宮」の共鳴星「天王星」が、下方矩(90度)の「牡牛宮」をトランシットしはじめたことは、日本とっては重要な意味をもちます。
これは実際的な“国体”の「再出発」のディレクションを意味します。

本当かどうか、現代に目を移してみましょう。

今年2018年の5月〜11月まで、天王星は一時的に「牡牛宮」に入宮してトランシットしました。
来年「2019年」(3月)になると、正式に「牡牛宮」に入宮し、運行を開始していきます。

この直後、5月1日に予定されているのが、「新天皇」のご即位です。

繰り返しになりますが、“国体”「水瓶宮」の共鳴星「天王星」が、水瓶宮の下方矩(90度)の「牡牛宮」をトランシットしていくために、“国体”の「再出発」のディレクションがもたらされるわけです。

昨今は“幕末動乱期”と同じように、海王星が「魚宮」を運行中であることも手伝って、「皇太子殿下」(魚宮生まれ)が、いよいよ新天皇に「ご即位」される出来事が起きることになります。

One-Point ◆ 同じ、天王星の「牡牛宮」トランシットでも、ほかの星たちの動きによって、内容は絶妙に変わってきます。幕末は、天王星と冥王星が同時に「牡牛宮」をトランシットしたために、“大変革”による“国体”の「再出発」となりました。昨今は、冥王星が「山羊宮」をトランシット中で、今後2018年〜2020年の3年間は、「土星」も共鳴サイン(宮)の「山羊宮」をトランシットします。そのため、「山羊宮」によって象わされる“組織”や“国土”また“運営態勢”に“大変革”が起きる「組織運営変革の深化」のディレクションとなっています。

《 土星&天王星&冥王星と「牡牛宮」 》

幕末にお話を戻します。

天王星は、1851年4月末に、正式に「牡牛宮」に入宮し、トランシットをはじめました。

この月に、牡羊宮の土星も「牡牛宮」の影響圏に入り、なんと「土星&天王星&冥王星」の三重合(トリプル・コンジャンクション=0・0・0度)が「牡牛宮」の“カスプ”(尖点=象意の最も強い点:境界線)に絡んで形成されます。

翌6月には、土星が一時的に「牡牛宮」に入宮します。
翌年1852年2月になると、「土星」が牡羊宮28度を通過して「冥王星」とジャストの合(0度)をとりつつ、同月、正式に「牡牛宮」に入宮します。

お話が再び現在に飛びますが、このような「土星&冥王星」のジャストの合(0度)は、まもなく再来年「2020年」(1月)に「山羊宮」の後半で生じます。

これは、9年間続く「組織運営変革の深化」のディレクションの最後の3年間にあたり、そのピークの時期です。
この前後、両星は現実的な「世界変革のディレクション」をもたらしていくことになります。

さて、冥王星は、上述しましたように、「1853年」(2月)に、ついに正式に「牡牛宮」に入宮します。
土星、天王星、冥王星が、そろって「牡牛宮」をトランシットしていくわけです。

繰り返しますが、この年、ペリーが「黒船」率いて浦賀に来航し、“幕末動乱期”が正式に幕を開けていきました。

ここまでディレクションが重なると、もはや避けようがありません。

“国体”に共鳴し“改革”を象わす「天王星」も、“誤魔化すことのできない現実”を象わす「土星」も、さらには“大変革”を象わす「冥王星」も、続けて「牡牛宮」に入宮して、強烈な“国体”の「再出発」のディレクションの“引き金”を引き、天王星と冥王星は引き続きディレクションを投げかけていったので、なにも起こらないというわけにはいきません。

いずれも「現実」への影響力が大きな星たちです。
「海王星」の魚宮トランシットともあいまって、いよいよ“御一新”こと「明治維新」に向かって日本および日本人が動きだしていきました。

結果、「新生日本」にむけた“新たなスタート”となる、1867年の「大政奉還」と、翌1868年以降の“御一新”こと「明治維新」をむかえます。

今年2018年から、ちょうど150年前の出来事です。

One-Point ◆ 「海王星」は、“スピリチュアリズム”(神秘主義)や“共産党宣言”(共産主義思想)といった、どこか非現実的な“夢”や“理想”(幻想)をもたらします。幕末の志士たちも同様に、“夢”や“理想”を抱き、「新生日本」にむかって動きだしていきました。幸い、日本にとっては、「土星」「天王星」「冥王星」といった“現実影響力”の強い星たちが、“国体”を象わすサイン(宮)の下方矩(90度)「牡牛宮」をトランシットして引き金をひき、“再出発”のディレクションを投げかけていったために、“御一新”こと「明治維新」が成功します。



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