宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―
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●2022年 4月 5日アップ。
●2022年 4月10日一部リライト。
先の「占星学と占星術の「原点」」に続く、「アストロロジーの原意」です。
ご紹介したように、古代ギリシャに発祥した「アストロロジー」と、19世紀後半に萌芽をもつ「現代西洋占星術」は似て非なるものでした。
当時の最先端の「学問」(科学)だったアストロロジーと、現代占星術の「占い」が同じ範疇(はんちゅう)であるはずはありません。
「ホロスコープ」を用いることは共通していますが、その“根っこ”も違えば、用途も別ものです。
さて、日本の占星術界隈では、古代ギリシャの「アストロロジー」を“古典占星学”と呼んで紹介しています。
そのため、事情を知らない人からすれば、アストロロジーは古典的な占いだと勘違いしてしまいます。
それが間違いなのです。
白羊宮時代(はくようきゅう じだい)の「天体観測」をベースに発祥した学問(科学)が古代ギリシャの「アストロロジー」でした。
一方、現代占星術はアストロロジーの小難しい理論を捨象し、近代スピリチュアル・ブームとともに萌芽した19世紀後半の星占いに端を発します。
そののち、現在の“ホロスコープ占い”に変容していった経緯があります。
One-Point ◆ 要は「ホロスコープ」をパクって占いに変えた現代占星術です。「占星学と占星術の「原点」」でご紹介したように複雑な歴史があるのですが、古代ギリシャの「アストロロジー」とは“根っこ”が異なります。
パソコンも「ホロスコープ作成ソフト」もなかった時代のお話です。
星の位置をわりだす天文学者といえば数学者で、天文暦もないため自ら天体観測を行ないました。
そうしなければ、ホロスコープを作成できなかったのです。
つまり、科学者でなければアストロロジーに携わることができなかったのす。
そのような科学(学問)ゆえアストロロジーでした。
古代ギリシャに発祥した本来の「アストロロジー」の真相をご紹介いたします。
古代カルデア人は、長年「天体観測」を行ない、季節の到来を告げていました。
それゆえ「ホロスコポス」(時の見張り人)と呼ばれています。
この「天体観測」は、本来の意味で、古代オリエントの「アストロロジー」です。
Astrology(アストロロジー)は、天体学また星の科学を意味するからです。
双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)の影響圏に入ると、古代ギリシャの世界観「四大元素説」とカルデア人の天体観測が結びつくことで、俗にいう「アストロロジー」(通称:古典占星学)が発祥しました。
四角い「ホロスコープ」の誕生です。
One-Point ◆ 東の地平線上を観測した「ホロスコポス」(時の見張り人)から、全天宮の星を観測して写しとった「ホロスコープ」に変わります。古代ギリシャの世界観「四大元素説」によって解釈されたために、そのホロスコープは四角でした。
古代ギリシャに発祥したアストロロジーのホロスコープは「四大元素説」に基づいて四角でした。
円形になるのは19世紀後半以降のことです。
近代スピリチュアル・ブーム(心霊ブーム)のさなか、実際は宗教団体だったかつての神智学協会に所属していたアラン・レオらは、四大元素説を捨てます。
“当たる当たらない”に特化した占いに変えたのです。
もはやホロスコープは四角である必要はなく、結果的ながら、天球を模した円形に変わっていきました。
そののち「火/土/風/水」といった四区分用語が復活したのです。
四角のほうが「四大元素説」にマッチして解明しやすかったからです。
著名な「医学の祖」ヒポクラテス(BC460頃-BC370頃)は、ホロスコープについて次のように言っています。
「患者のホロスコープを解明できないものに医師の資格はない」
アストロロジーは、最先端の医学(学問)としても活用されていたことが分かります。
「占い」ではありません。
個々人の体質や病気の原因などの解明に役立っていたからです。
One-Point ◆ 後世のノストラダムス(1503-1566)は、モンペリエ大学でアストロロジー(医学)を学びました。ですが、卒業した形跡はありません。落第生だったようです。こののち、近代医学の発展によって医学としてのアストロロジーは廃れていきます。
ホロスコープを作成するのは科学であり「四大元素説」によって解釈する学問でした。
そのような根本の理論を捨象し成立したのが現代西洋占星術です。
拠って成り立っていた根っこのアストロロジー理論を捨てたので、“切り花”と同じです。
美しく咲いていても、やがて枯れていく運命だといえないでしょうか。
近代科学が発展すると、「四大元素説」は“疑似科学”(迷信)として退けられました。
アストロロジーも科学(学問)の座からすべり落ちたのです。
このとき、著名な天文学者で、占星師としても知られるケプラー(1571-1630)は、アストロロジー理論を維持した通称:古典占星術を稼業として研究活動資金を捻出するようになります。
このときの有名な言葉が、「おろかな娘である占星術は一般では評判のよろしくない職業に従事し、その利益によって賢いが貧しい母である天文学を養っている」というものでした。
このあたりからアストロロジーと占星術の線引きが難しくなっていきます。
かような複雑な経緯があるのです。
One-Point ◆ 現代では「ホロスコープ」を作成するのに天文学者である必要はありません。数学者である必要もなく、「ホロスコープ作成ソフト」に依拠すれば、だれでも簡単にホロスコープを出力できるためです。
宝瓶宮時代は、「宝瓶宮時代のビッグバン」によって1989年にはじまりました。
そののち2009年から「双魚宮時代のリバイバル」のデレクションがはじまったため、実感しにくくなりました。
しかし、双魚宮時代のリバイバルは来年2023年3月以降、一段落していきます。
時代状況は再び宝瓶宮時代に向かうのです。
次元上昇した新しいアストロロジーがはじまります。
さて、「四大元素説」が退けられたのみならず、古典占星術が維持していたアストロロジー理論そのものも破綻していきます。
「天王星」が発見(1781年)されたからです。
それまで「太陽」〜「土星」の7つの星によって構築されていた理論体系が「天王星」の発見によって崩れ去りました。
宝瓶宮時代の共鳴星が「天王星」なので、これは古代ギリシャの「アストロロジー」が通用しなくなることを予見していたことになります。
一方、1846年に発見された「海王星」は、“学問”などの象意はありません。
“スピリチュアル”や“幻想”また“不思議系”などオカルトチックな象意がメインです。
この「海王星」によって、占いとしてはぐくまれたのが現代占星術です。
その後、1989年の「宝瓶宮時代のビッグバン」によって、新しい「アストロロジー」がはじまっていきます。
天王星が象わす空間域“宇宙”にもとづいて、宝瓶宮時代の新しい宇宙観「数理法則とクオリアル・ワールド」をバックボーンとした通称:宝瓶宮占星学です。
「四大元素説」に代わる新しい宇宙観によるアストロロジーです。
宇宙この世界をつらぬく根本の基礎理論「基本三数」(数理法則)による、皆さまご納得の論理的なホロスコープ解釈です。
One-Point ◆ 「基礎理論」によって、象意が驚くほど見えてきます。現代占星術のどの象意が正しく、どれが誇大解釈なのかも分かります。宝瓶宮時代の次元上昇した新しいアストロロジーによって、新しい地平が開けます。
※ご参考:ホロスコープ・マスター
上記ホロスコープ理論は、奥義講座で学べます。
→ 「奥義講座」
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