宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―
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一見、ホロスコープと関係ないと思われるかと存じます。
『日本書紀』や「祝詞」(のりと:いわいのことば)に出てくる「高天原」(たかまのはら、たかまがはら)。
約2,000年前後ほど前とおぼしき「高天原」の時代から、今日では社会の枠組みが大きく変わる「パラダイム・シフト」のときを迎えています。
「プラトン月」とも呼ばれる「アストロロジカル・エイジ」、すなわち双魚宮時代から宝瓶宮時代への変遷、“分水嶺”のピークのときです。
「高天原」とはいったい何だったのでしょうか。
解釈はご自由ですが、『日本書紀』編纂の意図からその“本意”が見えてきます。
「パラダイム・シフト」の現在、よく分からない出来事が起こらざるをえません。
従来の考えが徐々に変わり通用しなくなることが起きる、ご注意されたほうがよい時代です。
過去の通例に正解があるとはかぎらないため、小さな動きや兆候など、従来とは異なる動きといった常識ならざるものにも細心の注意や意識を向けられるとよいでしょう。
双魚宮時代の終末を迎えているためで、中でも宝瓶宮時代の新しい社会を構築していく流れや兆候は見逃せません。
新旧の家屋に例えるならば、古くなった建物を取り壊していったん“更地”にするように再構築が行なわれていくときです。
One-Point ◆ 「高天原」と何の関係があるのと言われそうです。双魚宮時代の日本神話の原点「高天原」も、今後の宝瓶宮時代に日本が世界に責務を果たしていくためにも再解釈しておく必要があるのではないかということです。
古きをたずねて新しきを知る「温故知新」ではありませんが、次のように言えます。
“支配/被支配”の対立二元論ってもうダメ(限界)だよね。
双魚宮時代の終末には“既成権力”が最後の悪あがきによって見苦しさを露呈したり、俗に言う“支配者”であるTOPや権力層が時の運勢を失うために、彼ら個人の問題ではありませんが、時代の流れとともにある「天運」が働かなくなるためです。
アストロロジカルな「歴史パラダイム」からみれば、双魚宮時代から宝瓶宮時代への時代変化は「対立二元論」から「共鳴関係論」へのパラダイム・シフトが起こることを意味します。
過去に栄華を誇った個人や組織や国家また世界も、“支配”には「天運」が働きにくくなり、たとえば“岸田政権”のようにやることなすことウラ目に出てしまいます。
One-Point ◆ 「星のディレクション」(運勢変化、時代変化)を含め、時代の根底にあるのが「アストロロジカル・エイジ」です。現代占星術で注目されることはありませんが、宝瓶宮時代のアストロロジーでは、ホロスコープもその象意をも規定する最重要の時間軸になっています。
『日本書紀』や『古事記』の日本神話をご存じであれば、「高天原」は日本人のふるさとともいえるものです。
皇祖「高皇産霊尊」(たかみ むすびの みこと)と「天照大御神」(あまてらす おおみかみ)の孫「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)による高天原からの“天孫降臨”によって、地上を統(す)めることの由(よし)がはじまったからです。
一見、ホロスコープと関係がないようですが、一例として触れておきます。
「高天原はここにあった」などの動画がアップされることがあります。
本当でしょうか?
主だったところを挙げると、次項のように主張されることがあります。
One-Point ◆ 皇祖は「高皇産霊尊」だと『日本書紀』「神代」(下巻)の冒頭に書かれています。一方、明治になって、国家神道のご祭神を決めるとき、最終的に天皇のご裁可によって、「天照大御神」が皇祖神とされました。
以下は、北から順番に「高天原」の場所と主張される歴史的に主だった地域です。
1、宮下文書(みやした もんじょ)による「関東富士王朝」が“高天原”だった。
2、天皇に麻の織物「麁服」(あらたえ)を献上する忌部氏の「四国阿波」だった。
3、夜須川(現小石原川:あめのやすかわ)の地名が残る「北部九州」だった。
また、神武東征の出発地に比定されている南九州の「高千穂」もその一つでしょう。
4、海外で代表的なところを挙げれば、古代オリエントの「メソポタミア」が“高天原”だ。
素晴らしい(笑い)。
さすがは天才「藤原不比等」(ふじわらの ふひと)の思惑どおりです。
One-Point ◆ 『日本書紀』編纂の総裁は、天武天皇の皇子「舎人親王」(とねり しんのう)です。ですが天武の妃持統天皇の意を受け、実質的には藤原不比等の差配です。第一、皇子なのに使いっ走り同然の「舎人」という名前で呼ばれるのはおかしいでしょ。
先を急ぎます。
『日本書紀』の正体は、史実の一部を記す“歴史書”であると同時に、大和朝廷の“権威”を正統とする“プロパガンダ(政治宣伝)の書”です。
ただし、海外の宗教や王権と大きく異なるのは、双魚宮時代の“権力支配”ではなく、権威に留めて、宝瓶宮時代に通じる豪族臣民らの和や合議を第一義とすることです。
それゆえ、『日本書紀』に記されるつくられたスーパースター“聖徳太子”による十七条憲法の第1条に「和を以って貴しとなす」と記されています。
古代7世紀は、勢力を増す海外の侵攻に備えるために、できたばかりの大和朝廷のもとに、早急に一致協力の国家体制を築く必要がありました。
危急存亡の時期に『日本書紀』に記される初代「神武天皇」の東征の出発地もそうですが、どこぞの有力豪族の一地域を取り立てて「高天原」と定めるのが“得策”だと思われますか?
武力支配の海外なら時の権力者の出自を充てるでしょうが、八百万の神による大自然との和をはかる日本では、風土風潮に沿わないためそれは逆効果です。
『日本書紀』によって今日に続く“国体”をディレクションした藤原不比等は“天才”だったのでそんなことはしません。
One-Point ◆ 国内一致を急務とする当時、「自分の地域こそ高天原では?」と思わせることで、天孫「統(す)めら尊(みこと)」(天皇)や「大和朝廷」に進んで協力するようになります。もし、どこぞの地域に定めると、他の豪族や臣民が反発が予想されますしまとまりにくくなります。
『聖書』もそうですが、『日本書紀』も同様に宇宙この世界の根幹法則「基本三数」にのっとっています。
そういった骨子となる箇所が見受けられるのです。
これが意味することは、「星のディレクション」をもたらす“宇宙波動エネルギー”こと「天意」(宇宙意志波動)が両書や両書に伴なう出来事に働いていたということです。
1、「二度と皇位争いを起こさない」と吉野の盟約で万世一系の定着の“意志”を示した第40代「天武天皇」。
2、それを“実体”のものにしようと孫への譲位によって実現させた妃の第41代「持統天皇」。
3、さらには、意図を汲んで輔弼し理論づけた『日本書紀』編纂の総裁「舎人親王」と事実上の指示を行なった立役者「藤原不比等」。
ここに宇宙この世界の根幹法則「1数」「2数」「3数」(4数)の「基本三数」の動きを見ることができます。
「基本三数」は、宇宙この世界の根幹法則なので『聖書』(ユダヤ、キリスト教)にせよ、『日本書紀』(日本、万世一系)にせよ、宇宙この世界に通底する“宇宙波動エネルギー”「天運」を受けて永続化が図られることになります。
One-Point ◆ 詳細は「基本三数講座」や「星のディレクション講座」などでお伝えさせていただきます。「高天原」は上述の理由によって、どこぞの海外や国内ではなく、「もしかしたら自分のところ?」と思わせれば思惑どおりです。
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