宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

連載 占星学と解く「日本成立史」
その8:「三種の神器」の意味
− それぞれ国を治める象徴 −

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ヤマ族の「八咫鏡」、ウミ族の「草薙剣」、天智系天皇の「八坂瓊勾玉」

↑ 八岐大蛇を退治する素戔嗚尊

●第1稿 : 2013年 4月22日アップ




《表記の統一》
※時代にかかわらず「大王」や「王子」は、基本『日本書紀』に準じて「天皇」や「皇子」に表記を統一しています。

古代日本史は、その時代的な背景から「海人(あま)族」が主人公になります。
あまり明確に分けると、かえって間違ってしまうのですが、ヤマ族とウミ族の婚姻関係や連合によって、「八咫鏡」をシンボルとするヤマ族系と、「草薙剣」をシンボルとするウミ族系によって古代日本が成立しています。

《 双魚宮時代と海人族 》

日本の民族性は「魚宮」です。
そのため、先ごろまでの約2,000年間にわたる双魚宮時代において、日本は世界第2位の経済大国となり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるまでに発展してきました。
その双魚宮時代がはじまって間もない頃、つまりは2,000年近く前、日本では海人(あま)族が勢力を持ち、発展の基盤を築きました。
それは、星のディレクションでいう運勢からは、当然の成り行きといえるものでした。
つまり、魚宮の共鳴星(西洋占星術では「支配星」)は、1846年に海王星が発見されてのちは海王星になりましたが、双魚宮時代の初期においては「木星」でした。
木星は、「拡大・発展」を象わします。そのため「海外」や「外国」など「遠いところ」にかかわる象意を持ちます。
当時の日本において「海外」や「外国」など「遠いところ」にかかわる交通手段といえば、やはり「船」で「海」がその舞台になります。
結果、造船技術や航海術を持つ海人族が、時代の「運勢」を得て、発展の一因となっていったのです。
それは、魚宮の民族性を持つ海洋国家「日本」において、特に顕著に現われたのは、当然の成り行きでした。
これが日本の成立史において、海人(あま)族が勢力を握った占星学的な理由です。
海人族がどこから来たのかはともかく、九州北岸に拠点を築き、大陸の文物を取り入れつつ勢力を伸ばしてきたのでしょう。
ちなみに、すべての技術が大陸から来たとするのは間違いで、造船や航海術また製鉄技術にしても、日本独自のノウハウも含めて複合的に発展してきた事実があります。
それは、何でも自分のことのように受け入れつつ、自らの感性を活かして、結局、呑み込んでしまう「魚宮」の民族性を持つ日本人の特性からも当然です。
「海」は、まさにそのような魚宮の民族性にふさわしい大自然の存在です。

One-Point ◆ アジア、とくに日本では、双魚宮時代の共鳴星「木星」の象意に伴い、「船」や「海」として具現化していきました。一方、西洋では、「木星」のもう一方の象意、「思想」や「哲学」によって古代ギリシャのソフィア(愛智)が現実化されます。いずれも「木星」が象わす高い精神性は、洋の東西を問わず仏教やキリスト教など「高等宗教」として双魚宮時代に新しい「倫理規範」をもたらしていきました。


●ヤマ族系ウミ族の尾張連と隼人

壬申の乱で天武天皇を助けた「尾張国」と、殯でしのんだ「隼人」ら。
いずれも太平洋岸の北方と南方の海人族の拠点に当たります。
上図ご参照。
ともに「都」の海の防衛にあたっており、その始祖は、ヤマ族である大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘「木花開耶姫(このはなやくやひめ)」の3人の御子のうちの2人です。
もう1人が皇孫の「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」です。







●注1

右本文の「彦波瀲武ウガ草葺不合尊(ひこなぎたけうがやふきあえずのみこと)」の「ウガ」の字が上図です。
直接、当WEBページで用いると、ページ全体が文字化けしてしまうために、別途「画像」にて表記しておきます。

《 ヤマ族とウミ族 》

古代日本人を大きく分けると「ヤマ族」と「ウミ族」がいました。
ヤマ族は、日本原住の内陸の豪族たちです。
一方、ウミ族こと海人(あま)族は、『日本書紀』によれば海神(わたつみ)の安曇族と、住吉大神とされる一族を主流としています。
「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の皇孫は、このヤマ族やウミ族と結びつくことによって皇統を築いていきます。
ポイントを『日本書紀』によって記しておきます。

「神代紀-下」から抜粋
「皇孫がこの美人に、「あなたは誰の娘ですか」と問われた。すると、「私は天神(あまつかみ)が、大山祇神(おおやまつみのかみ)を娶(め)とってうまれた子です」と答えた。皇孫はお召しになった。すると一夜だけで妊娠した。」
※皇孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」
※美人「木花開耶姫(このはなやくやひめ)」

「燃え上がった煙から生まれでた子を、火闌降命(ほのすそりのみこと)と名づけた――これが隼人らの始祖である――。
次に熱を避けておいでになるときに、生まれ出た子を、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と名づけた。
次に生まれ出た子を、火明命(ほのあかりのみこと)と名づけた。――これが尾張連らの始祖である――。全部で三人の御子である。」

天神とヤマ族(大山祇神)の娘「木花開耶姫(このはなやくやひめ)」との間に、上の3人の御子が生まれています。
その中で、2番めの彦火火出見尊が皇統をつなぎます。
ここで先回、「その7:安曇族と天武天皇」でお伝えしたように、壬申の乱で後の天武(てんむ)天皇こと大海人皇子(おおあまのおうじ)に味方した人々にご注目ください。
その一つ尾張連らの始祖が、3人の御子の一人「火明命」です。
次に、天武天皇が崩御したとき、その殯(もがり)にあたってしのんだ隼人らの始祖も、3人の御子の一人「火闌降命」です。
この2人、火明命と火闌降命は、太平洋岸の北方(伊勢湾や三河湾)と南方(鹿児島湾や志布志湾)を拠点とするウミ族の始祖です。
なぜ太平洋岸に偏っているのかというと、日本海側は素戔嗚尊(すさのおのみこと)らの海人族が治めていたからです。
この記述から、皇統をつないだ彦火火出見尊は、「天武天皇」を暗喩していることが分かります。
つまり、天武天皇こそが正統なのです。
続けて『日本書紀』を読むと、火闌降命というのは「海幸彦」のことです。
隼人らの始祖なので、南九州を拠点とした「ヤマ族系ウミ族」であることが分かります。
彦火火出見尊というのは「山幸彦」のことで、「ヤマ族」の正統です。
ご存じのように、海幸彦と山幸彦は、つり針の件でトラブルになり、困っていると、もう一方の海人族である「塩土老翁(しおつつのおじ)」が山幸彦を助けます。
それが縁で山幸彦「彦火火出見尊」は、海神(わたつみ)の娘を娶(め)とります。

「神代紀-下」から抜粋
「そして彦火火出見尊は、海神の娘の豊玉姫(とよたまひめ)を娶とられた。(中略)それでその子を名づけて、彦波瀲武ウガ(注1)草葺不合尊(ひこなぎたけうがやふきあえずのみこと)という。」
「彦波瀲武ウガ草葺不合尊は、その叔母の玉依姫(たまよりひめ)を妃とされた。
(中略)次に神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)。全部で4人の男神を生まれた。」

豊玉姫と玉依姫は、海神(豊玉彦)の娘で姉妹です。
結局、ヤマ族(天神)とウミ族(海神)との間に生まれた第4子「神日本磐余彦尊」が初代「神武天皇」となり、九州から東征して畿内「大和国」を征服することになります。

One-Point ◆ 「神代紀」の内容がどこまで史実かはともかく、ヤマ族とウミ族が結びついて初代「神武天皇」が生まれ、そこで「神代紀」は終わります。以降は畿内「大和国」の歴史になっていきます。なので海人族の拠点である九州北岸や九州「倭国」は、「神代紀」のお話、つまり「歴史(大和一国史)」以前の神話のお話とされてしまいます。結局、神代紀のメイン、天照大神が治めた「高天原」が九州であることはもちろん、卑弥呼(ひみこ)が女王となった「倭国(女王国)」を意味することが分かります。ちなみに卑弥呼の宗女「台与(とよ)」が第二「倭国」、倭の五王の時代が第三「倭国」、継体天皇以降は、第四「倭国」と「大和」になります。その後、第五「倭国」が6世紀後半に「アメノタリシヒコ大王」が倭王として『隋書』に記された時代です。


●素戔嗚尊は建速須佐之男命

『日本書紀』では「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」と表記されますが、『古事記』では「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」といったように、いくつかの名前で表記されます。
一方、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」は、『古事記』では「倭建命(やまとたけるのみこと)」です。
ここで「倭」は「日本」、「健」は「武」と書き換えられています。
つまり、「武(たける)」は「健(たける)」で、国をつくったことや、倭国系の諡号(しごう)を意味します。
結局、「建速須佐之男命」というのは、「建速」と人物名の「須佐之男命」に分けられます。
「建速」というのは、九州「倭国」の出自で先に国をつくったという意味で、その人物の名前が「須佐之男」つまり「素戔嗚尊」ということです。

《 素戔嗚尊の国づくり 》

『日本書紀』が消したのは、九州「倭国」のほかに、もう一つあります。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の「出雲国」です。
素戔嗚尊の出雲のお話は、『古事記』では3分の1ほども占めますが、『日本書紀』はわずか数行程度しかありません。
その理由は、素戔嗚尊の子「大已貴命(おおあなむちのみこと)」こそが、最初に畿内「大和国」を治めていた大国主(おおくにぬし)だったからです。
ちなみに「大」というのは、長男を大兄(おおえ)というように「先の」を意味します。
なので大国主というのは、先に国を治めた王(あるじ=主)のことです。
大已貴命のまたの名を大国主命(おおくにぬしのみこと)といいますが、最初に国づくりをして畿内「大和国」をはじめ、北陸や関東福島まで、「本州国(日本)」を治めていた大王だったからです。
『日本書紀』には、次のように記されています。

「神代紀-上」
「一書にいう。大国主神(おおくにぬしのかみ)は、大物主神(おおものぬしのかみ)とも、また国作大已貴命(くにつくりおおあなむちのみこと)」ともいう。(中略)また大国玉神(おおくにたまのかみ)ともいう。また顕国玉神(うつしこくにたまのかみともいう。」

いずれの名前も、「先に国をつくって治め、後に祟るようになった神」を意味しています。
先に国を作り、後に「神武天皇」なる人物にに国ゆずりを迫られ(奪われ)、祟るようになったために「物(もの)」や「玉(たま)」という別名がつきます。
「物」は「ものの怪(け)」の「もの」で、「玉」は「霊」を象わす魂(たましい)の「たま」です。
ちなみに「大已貴命」というのも、「さきの、すでに、とうとい、貴人(命=みこと)」という意味で、理由は国づくりを行なうだけではなく、立派に国を治めていたからです。
では、素戔嗚尊とは誰かというと、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神が、九州北岸の宗像族が祀る神であることから、海人族なのです。

「神代紀-上」から抜粋
「「その十握(とつか)の剣は、素戔嗚尊のものである。だからこの三柱の神(三女神)はことごとくおまえの子である」と。そして素戔嗚尊に授けられた。これが筑紫の胸肩君(むなかたのきみ)らがまつる神である」

ちなみに、この三柱の神は、現在「宗像三女神」と呼ばれています。
本書によって記すと、田心姫(たこりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵嶋姫(いつきしまひめ)です。
名前や順番は一書(あるふみ)によって多少異なります。

One-Point ◆ 「神代紀」の一書では、「天照大神は高天原を治めなさい。月読尊(つくよみのみこと)は青海原の潮流を治めなさい。素戔嗚尊は天下を治めなさい」と言われます。また別の一書では「素戔嗚尊は、青海原を治めよ」とも記されています。結局、「天照大神」とされた人物は、九州「倭国」を治め、弟「素戔嗚尊」とされた人物は、出雲や畿内、北陸、関東など「本州国(天下)」を治めます。そのため、畿内「大和国」は、九州「倭国」からみると弟国なのです。6世紀末から7世紀初めの倭王「アメノタリシヒコ」をはじめ、当時の人々は、その史実を知っていました。『日本書紀』にそう書いているのですが、『日本書紀』の編纂意図、畿内「大和一国史」を信じ込むと、逆に見えなくなります。

《 三種の神器の意味 》

さて、「三種の神器」の意味について触れておきます。
「神代紀」では、天下の主者(きみたるもの)として、日神(ひのかみ)「大日靈貴(おおひるめのむち)」を生みます。
一書にいう天照大神です。
『日本書紀』は、九州「倭国」や「出雲国」の存在を完全に消しましたので、「神代紀」に天下の主者として登場する大日靈貴は、最初に「倭国(北部九州連合国家)」を治めた卑弥呼を暗喩していることが分かります。
名前からして、一般名称の「先の」を象わす「大」と、尊称である「貴」を除くと、「日靈」が残り、「日の霊」なので「ひみこ」と読めてしまいます。
ちなみに「靈」は、「リョウ」「レイ」「たま」と読み、霊を見る「鬼道」に通じ、「先の(大)貴い」存在なので、台与の前の「卑弥呼」を暗喩しています。
その卑弥呼の「倭国」を象徴するのが、神鏡「八咫鏡(やたのかがみ)」です。
『日本書紀』を見ても天照大神の皇孫が正統なので、その象徴「八咫鏡」は「三種の神器」のメイン(別格)になっています。
実物は現在、伊勢の神宮に祀られています。
その神宮を、現在のように大々的に建造したのが天武天皇です。
天武天皇が正統であるゆえです。
一方、出雲国を盟主に、北陸、関東などを含めて先に畿内「大和国」をはじめ「本州国」を治めていたのが素戔嗚尊とその子大已貴命です。
その素戔嗚尊が、出雲の八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに手に入れたのが、宝剣「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」で、すなわち「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」のことです。
こちらは現在、実物は尾張の熱田神宮に祀られています。
これらの神器は、それぞれ国を治めた者が受け継ぐ「御璽(みしるし)」を意味します。
八咫鏡は九州「倭国」を治めた者が持ち、草薙剣は畿内「大和国」をはじめ「本州国」を治めた者が、代々、受け継いでいくシンボルなのです。
そのため、両方を手にした者が日本に君臨する天皇(大王)を象徴します。
「おい、もう一つ八坂瓊勾玉(やさかのまがたま)があるではないか」
そんな声が聞こえてきそうです。
それは、後世のもので、藤原不比等の時代に加えられ、『日本書紀』にさかのぼって記されたもので、天智系天皇の皇統を意味します。
ちなみに、八坂瓊勾玉は、現在、実物が皇居にあります。
天皇が即位するとき、「剣璽等継承の儀」が行なわれますが、それは「草薙剣」の形代(かたしろ)と「八坂瓊勾玉」によって行なわれます。
では、「八咫鏡」はどうしたのかというと、宮中の賢所(かしこどころ)に形代が御神体として奉安されており、持ち出されることはない別格なのです。
つまり八咫鏡こそが正統を意味しますので動かしません。
草薙剣と八坂瓊勾玉をもって「継承」とするのは、それぞれの国を「和」を持って引き継ぐことを意味しています。
これが「三種の神器」の意味です。
ちなみに、天武天皇が病気になられたとき、「草薙剣の祟り」とされたのも、天武が「倭国」の正統であるゆえで、そうでなければ八咫鏡が祟ったはずです。
天武のもとにあった草薙剣は、即日、尾張の熱田神宮に戻されています。
ここに深い意味が隠されているのですが、結論のみ書いておきます。
素戔嗚尊や大已貴命(大国主命)が滅ぼされ、また7世紀に至っては、乙巳の変で天智天皇こと中大兄と中臣鎌足(藤原氏)に滅ぼされた蘇我大王家の祟りを鎮めるために、出雲大社(いずもおおやしろ)が建造され、祀られています。

One-Point ◆ 熱田神宮に祀られる宝剣「草薙剣」は、木箱や黄金や赤土などで、二重三重に納められています。これは祟りを恐れ、封じ込める意味からです。一方、神鏡「八咫鏡」は、船の形をした御船代(みふなしろ)の内箱に納められています。こちらも九州から東征していったことを象徴し海人族とかかわりを象わしています。ちなみに単なる「鏡、剣、玉」を三種の神器とはいいません。あくまでも国を象徴する固有の「八咫鏡、草薙剣、八坂瓊勾玉」をもって「三種の神器」といいます。


●福島も出雲の影響圏だった

福島県の舘ノ内遺跡から発見された土器。
福島県喜多方市の舘ノ内遺跡には、出雲型古墳である「四隅突出型墳丘墓」の影響を受けた「方形周溝墓」が東西に並んであります。
この土器は、北陸の影響の影響を受けており、出雲の勢力圏にあった北陸と福島の関わりが、3世紀にすでにあったことを表わします。

《 出雲の勢力は本州国に及ぶ 》

お話は前後します。
歴史的な根拠を挙げておきます。
卑弥呼が九州「倭国」の女王に共立され、北部九州連合国家が成立して「和」がもたらされたのが2世紀末〜3世紀です。
その当時、「出雲国」を盟主とする「本州国」も、ほぼ成立していました。
「素戔嗚尊」また「大已貴命」とされる人物は、銅鐸を文化とし、人々や家畜のために病気治療の方法を教え、鳥獣や昆虫の災いを防ぐための術を教え、銅剣とともに勢力圏を広めていきました。
その勢力は「出雲」から海流に乗って敦賀の「福井」、越の「北陸」といった日本海沿岸はいうにおよばず、畿内「大和国」や、関東の「福島」にまで及んでいます。
事実、出雲型古墳である「四隅突出型墳丘墓」は、すでに3世紀には福島県喜多方市に、その簡易版「方形周溝墓」として東西に2つ並んで残っています。
『日本書紀』は建国以前の「神話」にしてしまいましたが、「神代紀」に記されるように、素戔嗚尊や大已貴命の海人族が、先に国づくりを行ない、3世紀には「本州国」を治めていたのです。
ただし、畿内「大和国」においては、少彦名命(すくなひこなのみこと)が力を合わせ、協力しています。
「少彦名命」とされる人物こそが、畿内「大和国」の土着の王です。
大已貴命と少彦名命の埋葬文化が合わさって、新たに「前方後円墳」が生まれます。
昨今、「卑弥呼の墓では?」と話題の「箸墓古墳」はその初期のものです。
一方、九州「倭国」では、卑弥呼が亡くなったあと男王が治めますが、豪族らは納得せず、再び戦乱が起こります。
結局、卑弥呼の宗女(一族の娘)13歳の台与(とよ)を女王に立てることで諸豪族も納得し、再び「和」を取り戻します。
卑弥呼や台与によってこそ北部九州が治まったのは、鬼道もさることながら、卑弥呼の一族が日本古来からのヤマ族で、実績と伝統と祭祀を持ち、誰もが「仕方ない」と納得せざるをえない立場だったからです。
余談ですが、ウミ族や海人族に対して、卑弥呼の一族が古来からのヤマ族だったゆえに、卑弥呼が都した国を「邪馬台国(やまたいこく、やまとこく)」と呼んでいたのではないかと推測しています。

One-Point ◆ 次回は、必要上、宝剣「草薙剣」が祀られる熱田神宮がある「尾張国」についてお届けいたします。この尾張こそが、天下を治めた大已貴命の最後(おわり)の本拠地だからです。



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